「絶歌」について思うこと。
自分の周りや、インターネットの掲示板では、
「この本を買ったら負け」「遺族の気持ちを全く分かってない」「人を殺せば儲かるのか」という意見が多いです。実際そう考える気持ちも分かります。
が、僕は買って読みました。
犯罪者の自己陶酔本を読むなんて信じられない、っていう顔もされました。
確かに、この本に対しては批判的な意見が多いです。
そしてそれはかなり感情的な態度だし、だからこそ大勢の人を巻き込み、「元少年Aを許さない派」を作り上げてます。
自分自身読み終わった感想として、内容は非常に胸糞悪いです。
出版に至った動機も、非常に自分勝手だと思います。
でもそれ以上に自分は、この本が社会に対してどういう意味を持っているのか、考えることが必要なんじゃないか?と感じました。
一部では元少年Aを神格化したり、スター的な存在として扱う人もいるようです。
彼に憧れていて、殺人を犯したという名古屋の大学生もいました。
この本には元少年Aの、殺人を犯した者の、苦しみや後悔の思いが記してあります。
「そんなの反省したフリをしてるだけだ」という人もいます。
そんなことは本当かどうか、分かりません。
素直に読んだ自分は、元少年Aもそれなりに苦しんだんだな、と感じました。
元少年Aを許さない!
その気持ちも分かります。自分も、そう思います。
しかしこの本を読めば、彼なりの苦悩を知ることができます。そこに記されている彼は、「精神的におかしい」「人の気持ちをわかってない」人間でありながら、「とんでもないことをしてしまった」という後悔も持ち合わせています。
元少年Aは、頭のおかしいただの少年でした。神格化されたり、スターとして扱われるべき人間ではありません。
この本で、彼はそれを表現したかったのではないか?と自分は感じました。
つまり彼はただの人間であり、犯罪を犯した愚かな人間だと。
この本が世に出る意義があるとすれば、同じような犯罪の抑止力になること、だと自分は思います。
酒鬼薔薇は神でもない、スターでもない、ただの犯罪者。
絶対に彼に憧れて人を殺してはいけない。
これが、この本の持つメッセージです。
二代目ブログ
今週のお題「私がブログを始めたきっかけ」
日々の出来事を記録しようと思ったから、です。
なぜそのように思ったのかというと、自分がどんな考えを持っている人間なのか、少し掘り下げて考えてみようと、そう考えたからです。
誰にでも、そういうゾーンにはまってしまう時期が、あると思います。今の自分がまさにそうなんです。昔の自分と今の自分、周囲から見た自分と自分から見た自分、どれもこれもが複雑に絡まりあって、思考があっちこっちに飛んでって、自分が安定した自分でいられないことに苛々しながら、それでも日々は平坦に続いていて、どんどん負の感情に埋もれていく。
文章を書くことで、自分の気持ちをどうにかすっきりさせたいと思うのは、現実逃避なんでしょうか。もう、自分でも何が言いたいのかなんだかよく分からない。
その日思ったこと、その日やったこと、その日感じたこと。悪いことも、良いことも。過去のことも、明日やってみたいことも。
なんでもかんでも、すっきりさせたい。そこにあるものを、ただそこにあるものだと感じながら、生きていくにはどうしたらいいのだろう。
ただ本当にまっすぐに、変に斜に構えたりひねくれたりせずに、自分の価値観を持ってただ真っ直ぐに生きていくにはどうしたらいいのか、なかなか掴めずにいる。